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2019年5月14日 (火曜日)

気のみ記のまま雑記帳(5月14日)

気のみ記のまま雑記帳。

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遅ればせながら、DVDで「ボヘミアン ラプソディー」を見ました。
そこで今回は、映画の感想など、つれづれなるままに、綴ってみたいと思います。
(感想には個人差があります。映画の内容に触れる点もあります。ご注意ください)

正直なところ「「話題になっているから」見に行きたい映画のうちの一本」という感じでした。
だから始めの方の1時間程度は、盛り上がる点があるものの、見ていてちょっと飽きる感じでした。
ですが、後半の1時間は、気がつけばじっと見入るというか、離れられなくなる感じで、一気に最後まで見てしまいました。

物語が「クイーン」というバンドと、フレディ・マーキュリーという人物に光当てたものであるからには、世間的には今だに評価が分かれる部分を「清濁併せのむ」という形で描き、普通の物語ならば、主人公をよく見せるために、事実と違う点や、事実であってもそれなりに「美化」されたものになるはずですが、本作は、その辺も「赤裸々」に描いています。
そういったことへの毀誉褒貶や栄枯盛衰が、描かれていることがわかっていて、ドキュメンタリーではないと知りながら、そうであるから逆に「ドキュメンタリー」的なものとして見ることができました。

見ていて気がついたのですが「ボヘミアン ラプソディー」の歌詞って、よく聞くと、母親に「人殺し」について告白する部分や、「自分がこの場にはかえって来ない」という意味の部分があります。
唐突な感じの歌詞ですが、映画を見た後では「母親に告白した殺人は、フレディ・マーキュリーになる前の「自分」から、その自分を「殺す」、言い換えればフレディ・マーキュリーという全く別の自分担ったことをいっているのではないか」と感じたし、「別れを告げる部分は、自らの病のことを知って、もう家族の元には帰ることはできないという覚悟」を表したのではないか…なんて思ったりしました。

映画としても評価の分かれる本作ですが、個人的には「一青年がフレディ・マーキュリーになっていく物語」として、素直にいい映画として見ることができました。

100点満点で95点です。

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