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2019年3月29日 (金曜日)

DVDでもいいじゃないか 映画観賞記 砂の器(3月29日)

昨晩(28日)、フジテレビ系列では開局60周年記念として「砂の器」がドラマとして放送されていました。
(以下、ネタバレを含みます。ご注意を)

原作や映画版では、「ハンセン病(らい病)」という病気が、事件の根幹にかかわるのですが、今作では舞台が現代であるために、家族が猟奇的な殺人を犯した設定になっていて、そのことが原因で、しかも事件の核となる放浪が、家族が起こした殺人事件が原因になって再び起こってしまった新しい事件が起こったことによってその罪から逃れるためだったということが原因というものでした。

テレビで、しかも現代に流すからには、その辺は改変しなければならないのはわかりますが、殺人事件が物語のベースになるのは、ちょっと違和感を感じました。
今風だといえばそうですが…。個人的には映画版の方が好きです。

和賀英了の過去が、原作の時代ならともかく、現在に近い段階で、こうも全くないことが不自然。
東山紀之演じる今西刑事が、個人的な影を抱えた存在として描かれているのは人間性を表すうえではよかったですね…映画版の丹波哲郎の場合は個人的な面は全く描かれていません。ドラマ版のように人生の「酸いも甘いも」かみ分けた感じが少ない分、丹波哲郎の今西刑事はスマートな感じでしたね。


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DVDでもいいじゃないか、映画鑑賞記。
今回は「砂の器」(1974年 日本 監督:野村芳太郎)です(このあとあらすじや内容に触れますので、ご注意を。感想には個人差があります)。
「砂の器」は松本清張の作品です。
松本清張は数々の名作を残していますが、個人的には「点と線」「ゼロの焦点」などと並んで、この「砂の器」も名作の一つだと思います。
今回は、NHKの「100分de名著」で「松本清張スペシャル」として取り上げられていたこともあって、再度原作を読みかえして、映画も見てみようと思い、鑑賞しました。


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映画は二人の刑事…警視庁の刑事・今西栄太郎(丹波哲郎)と西蒲田署の刑事・吉村弘(森田健作)…が秋田県の国鉄・羽後亀田(うご・かめだ)駅に降り立つところから始まります。

二人は、東京の国鉄蒲田操車場内で殺害されて発見された男の身元を調べるためにやってきたのでした。
唯一の被害者につながると思われたのは、男が殺される前に、トリスバーで「容疑者」と思われる男と話していた際に発した「カメダ」という言葉と、男の話し方が「東北弁」であったという情報があったためでした。

が、結果ははかばかしくなく、二人は収穫なく東京に帰ります。

その帰途で乗った急行の食堂車で、二人は、新進気鋭の指揮者でピアノ奏者の和賀英了(わが・えいりょう 加藤剛)を見かけます。

行き詰った捜査の突破口を開いたのは、殺害された男の身内が名乗り出たことでした。名乗り出たのは被害者の養子で、被害者の名が三木謙一(みき・けんいち)(緒方拳)であると語ります。そして被害者の養子は、三木謙一が東京に来る予定がなかったことと、三木謙一の過去を話します。
今西刑事は、その場で三木謙一が東北とは関係ないことを聞きますが、一方で謙一が島根県出雲地方で戦前に巡査をしていたことを聞きだします。
その情報を得た今西刑事は、その情報をもとに、東北弁と似た言葉が島根県出雲地方で話されていることを調べ上げ、島根県出雲地方に赴き、三木謙一のことを調べます。

一方吉村刑事は、週刊誌に載った記事で、女が走る列車の窓から紙ふぶきの様なものをまいていたという記事を見て、その女・高木理恵子(島田陽子)に会いに行きますが…彼女は姿を消します(彼女は和賀英了の愛人で、後に和賀の子供を妊娠しますが、流産が原因と思われる大量出血がもとで亡くなります)。

彼女の行動を不審に思った吉村は、記事の中にあった鉄道の沿線を探り、血と思しきものがついた「布きれ」を見つけます。
一方、今西刑事は、三木謙一が警察官をしていた島根県の亀嵩(かめだか)を訪れ、彼の過去を調べます。その中で、彼が、病で行き倒れになっていた親子を保護したことを知ります。

帰郷した今西刑事は吉村刑事と共に鑑識を訪れ、吉村刑事が探し出した布きれについていたものが血液で、三木のものであると判明したことで、捜査は再び動き出します。

ここで今西はふと気が付きます…三木はなぜ、伊勢参りの後に予定になかった東京行きを思い立ったのか…その動機として、宿泊した近所の映画館に掲げられていた一枚の写真に行きつきます。そこには、地元出身の代議士・田所重喜(佐分利信)とその娘・佐知子(山口果林)、そして…和賀英了が写っていました。

事件は一気に核心へ迫ります。

和賀のことを調べ始めた今西刑事、和賀の戸籍が昭和20年3月14日の大阪大空襲で燃えてしまって、後に本人の申し出で作られたものであること、そしてその戸籍に記載された内容は「作られた」ものであることを調べ上げます。

さらに亀嵩時代の三木謙一が保護した「行き倒れの親子」の戸籍が判明、親子の本籍を当たり、父親が本浦千代吉(加藤嘉)であり、その子供が本浦秀夫(もとうら・ひでお)であることがわかります。

親子は、父親が発症したハンセン病(当時は「らい病」と言われ、遺伝性があると思われおり、顔や身体に変形が発生し、発病すると強制的に隔離されることがありました。患者を出した家族は、患者との縁を切って、患者自身は各地に設けられた国立の療養所に隔離されました。今では有効な治療薬もありこの物語のようなことはありません)のために村から出て、各地を転々とすることとなります。その旅の途中で、千代吉は病に倒れ、秀夫は三木謙一に保護されます。

三木は千代吉を療養所に入れる措置を取り、秀夫をわが子のように育てることとするのですが、秀夫は謙一の元を飛び出してしまいます。
どうやらその後、どんなつてなのかはわかりませんが、大阪に出て、和賀夫婦が経営する店で働くこととなったいきさつが明らかになります

容疑が固まったことから、今西刑事は和賀英了の逮捕状を申請します。
その逮捕状を胸に、今西刑事と吉村刑事は、おりしも和賀自身が作曲した「宿命」という曲のお披露目演奏会の会場にいる和賀英了の元を訪ねるのですが…。
この先の展開は、是非DVDでご覧ください。

あらすじはこれぐらいにして感想を…。
原作とは違った点も多い本作ですが、映画は映画として素晴らしく、原作は原作として素晴らしいものです。
特に、映画版が素晴らしいのは、劇中で効果的に使われる「宿命」(音楽監督の芥川也寸志氏の協力を得て、菅野光亮氏が作曲した)。心に残る旋律です。
しかもこの「宿命」、今西刑事が捜査会議で事件の真相に迫るシーンと和賀英了が演奏会で演奏するシーンを交互に交える演出で使われており、全体を一気に盛り上げ、事件を終焉へと導きます。

そして野村芳太郎監督、橋本忍・山田洋二脚本…このメンバーであるからこそできた、映画だと思います。
加えて、後年には変なイメージで「色物」的な扱いが多かった丹波哲郎(個人的には「日本沈没」の山本首相役などいい演技をする役者というイメージが強いのですが)、若々しい演技で今西刑事の相棒としての役割を果たす森田健作、秘密を抱えたまま成功を手に入れようともがき、その手にした成功を守るために必死な和賀英了を演じる加藤剛、わが子と放浪をした末に、療養所で現在のわが子の近況と成功を知り、今西刑事に「こんな人は知らん」と、かばう父親を演じた加藤嘉(出演の話が来た時に、千代吉役をやりたいと、緒方拳は望んだそうですが、監督が加藤嘉で行くといったというエピソードがあるそうです)、親子のことを考え、余命いくばくもない療養所にいる千代吉に会うことを切々と訴える三木謙一を演じた緒方拳など、素晴らしい演技が光ります。

当初は間延びした感のある本作ですが、後半の40分ほどは息をつかせないほどの緊張感とテンポです。

最近見た中では、出色の出来の一つだと思います。

100点満点で90点です。

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