徒然なるままに……最近の出来事について。
*秋田県での6歳児死亡事件 犯人は母親とその知り合いの男性
またしても、身勝手な(これについては、いろいろな意見があると思うが)親によって、幼い子供の命が犠牲になった。まるで、
砂で作った城でも壊すように、いとも簡単にである。
どのような理由があれ、人の命を人が奪うことは許されないことだと思う(司法の場で決められた死刑は別かもしれないが)。
まだ未婚で、子供のいない自分が言うのもなんだが、「大人になれない子供」が親になってしまっている現状があるからだろうか。
育てる自信がないのならば、子供はつくらねばよい。このように児童虐待をしてしまし、その子供の命を奪う親になってしまった人たちは、
まさか、どのようにすれば子供が出来なくできるか、あるいは出来るかを知らない、なんてはずはないだろけども。
自分も親から、今にして思えば「虐待」に当たることをされていたと思います(お金を落として「見つかるまで探して来い!帰ってくるな!
!」と言われ暗闇の中を何時間も探したこともあるし、鼻血を流すほどに殴られたこともあります)。でも、行き過ぎない程度の限度があったし、
そこには愛情があったはず、と思って言います。だからといって、このような態度を完全に肯定も出来ないし否定も出来ない自分がいるのですが…
…。
でも今は、犠牲になった子供の冥福を祈りたい気分です。
*タウンミーティング やらせ事件の余波
もういいです。ほっときましょう。
世の中のマスメディアの人々は、「この世はすべてガチンコ勝負」で成り立っていると思っているのでしょうか? 確かに、
今回の政府によるやらせはイカンとは思いますが、マスコミだって同罪です。ドキュメンタリーと銘打ってはいても、「構成」や「演出」
はつき物だと思うからです。有名人が旅していて、そんなにその地方の名品や名物の収穫や生産現場にあたることはないでしょうし、
その当事者にあってインタビュー、なんてこともないでしょうから。
○紫さんや、○舘さんや、某局のキャスターに聞きたい!!
「あなたの伝えていることに「やらせ」、あるいは「やらせ」的なものはまったくない、今までにもなかったですか?」と。
*相次ぐ自殺者 いじめ問題
無知であるから、難しいことはわからんけれど、自分の命を失ってまで償わなければならないことは、この世の中にはそう多くないはず。
ましてや、自分以外のところに原因があるや知れぬことで自分の命を絶つことを選んでしまうということは、
それだけしか選択肢がないという結果になっても何とかならなかったのかと断腸の思い賀します。きれいごとは抜きにして、どんなに泥臭くても、
時間がかかっても、手間がかかっても、このようなことが起こらない、起こりそうならば防止できるような体制に出来ないものかと思います。
で、今回のこの3件に共通するのが「どこに責任があるのかのなすりつけあい」です。自分以外の誰かに責任をなすりつけて、
安心している自分がいるとは思いませんか?直接かかわってはいなくても、どこかで接点があるはずです。
どこかだけの、どこかの部署の、どこかの誰かのだけの責任ではないはず。もっと社会全体に「自分たちの責任」
という雰囲気が必要ではと思うのですが……。
アーサー・C・クラークの 「海底牧場」
三分の一ほど
読み進みました
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